この記事には『FINAL FANTASY X』本編の結末に関する重大なネタバレが含まれます。
最近、YouTubeで久しぶりにFF Xのエンディングを見た。
そして、何度も、何度も繰り返して見てしまった。
もう結末は知っている。それなのに、また泣く。本当に、いつ何回見ても泣ける。FF Xは、オレにとって不朽の名作だ。
「いま、25周年記念か何かをやっていた気がする」と思って調べると、国内発売は2001年7月19日で、2026年7月19日が25周年だった。スクウェア・エニックスの公式記念サイトも公開されている。
周年企画の影響で目に入ったのかは分からない。でも、またあのエンディングに戻った。そして改めて、多くを感じ、考えさせられた。
さよならのハグさえできない
消えていくティーダへ、ユウナが駆け寄る。
けれど、ユウナはその身体をすり抜け、床に倒れ込んでしまう。
最後のお別れのハグさえできない。何度見ても、ここがつらい。
それでもティーダは、ユウナの背後から抱きしめるように腕を回す。もう触れられない。それでも、ハグをする。
オレは、あの仕草を「フリでもハグをして」と言いたくなる。気持ちが偽物という意味ではない。抱きしめられなくなっても、抱きしめようとする。その気持ちが、どうしようもなく切ない。
そして、あの背後からのハグには、もう一つの優しさがあるように見える。
自分が消えてしまうところを、ユウナに正面から見せたくなかったのではないか。
制作陣の意図として確認した話ではない。オレには、そう見えるということだ。
自分のことでいっぱいになってもおかしくない最後の瞬間に、相手のことを考える。触れることができなくても、できる仕草で気持ちを伝えようとする。
あんなふうに、優しく、カッコよく、粋に振る舞える人間でありたい。何度見ても、そう思う。
あのハイタッチが「よくやったな」に見える
そして、ジェクトとのハイタッチだ。
最後にティーダを迎えた父が、息子と手を合わせる。あの、ほんの一瞬。
オレには、ジェクトがこう言っているように見える。
「よくやったな」
実際にそういう台詞がある、という意味ではない。あの仕草から、オレが受け取った言葉だ。
ティーダとジェクトは、ずっと素直に向き合える親子ではなかった。父への反発や、わだかまりもあった。その二人が、最後に手を打ち合わせる。
長い言葉も、立派な挨拶もない。ただ、その一度で伝わるものがある。
旅を終えた息子を、父が認めたように見える。あの数秒に、それまでの二人の物語が重なる。
なんてカッコいいんだろう。
ティーダの最後の気遣いと、ジェクトの言葉を重ねない迎え方。この二つの仕草に、オレが憧れる粋さがある。
英語が分からなくても、同じ思いだと思った
今回、海外のプレイヤーがエンディングを見るリアクション動画も見た。
正直、英語で何を言っているのか、細かいところまではよく分からない。でも、画面の向こうの人が強く心を動かされているのを見ると、同じ思いだよな、と思う。
オレがたまらなくなる物語が、言葉の違う誰かにも強く届いているように見える。それが何だか嬉しい。
国も言葉も違うのに、自分の好きな作品を通して気持ちが重なる。全部の台詞を訳せなくても、ああ、分かる、と感じる。
もちろん、誰もが同じ受け取り方をするわけではない。けれど、少なくともこの動画の人たちと、感動を分け合えたような気がした。
見返した動画は、こちらの二本。動画内の発言は逐語確認できていないため、具体的な英語の台詞は引用していない。
- Sector_Seven_Live — 「Experiencing the Final Fantasy X Ending for the First Time Emotional Reaction」
- アニメ海外のご意見番 — 「【海外の反応】 ファイナルファンタジー10の海外ゲーマー達がぶっ壊れる瞬間のリアクション集 その1 【日本語字幕】」
胸に空いた穴が、自分の人生への問いになる
エンディングのあとに、こんなに胸にぽっかりと大きな穴ができたゲームがあっただろうか。
いや、『ゼノギアス』や『ゼノブレイド』もある。それでも、FF Xの余韻は、オレの中で特別だ。
物語は終わったのに、気持ちが終わらない。寂しさが残る。その寂しさの中で、自分のことまで考えてしまう。
自分は、どう生きて、どう死に、どう消えていくのだろう。
いつか自分がいなくなるとき、大切な人にどんな気持ちを残せるだろう。自分の物語が終わったあとも、周りの人の物語は続いていく。その続きに、何を渡せるだろう。
あのエンディングの美しさを、現実の別れの正解にするつもりはない。泣いても、未練があってもいい。
オレが憧れるのは、最後まで相手を思いやる姿だ。
それなら、最後の日だけの話でもないのだと思う。普段から相手を大切にすること。伝えられるうちに伝えること。できることが少なくなっても、何かをしようとすること。
そういう生き方をしたい。
何度でも、粋に生きたいと思わせてくれる
最後のハグさえできなかったティーダ。それでも、ハグをしようとしたティーダ。
そして、そんな息子を手を合わせて迎えるジェクト。
本当に、何度見ても泣ける。何度見てもカッコいい。
胸に穴が開くような喪失感と一緒に、「オレもこんなふうに、カッコよく、粋に生きたい」という気持ちが残る。
25周年を迎えた今も、結末を知っている今も、FF Xはオレにその問いを返してくれる。
だから、またあのエンディングを見てしまうのだと思う。
